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First to the Hill - 大分 明野
JUGEMテーマ:九州旅行

東京でお世話になっていた方が九州に転勤していた一時期、何度か分譲住宅のキャンペーンのコンペに呼んでいただいた。

下記は、大分市明野の物件でのコンセプトワーク。県下屈指の住宅地ゆえ、地名をストレートに表現した。市役所に勤務する大学時代の友人を訪ね、情報を収集。短い時間だったが、卒業以来 久しぶりに旧交を温めた。










 
| 松本 聰 MATSUMOTO Satoshi | 15:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
1990年の教師たちに - 昭和の仕事
JUGEMテーマ:教育

教員採用試験受験者向け情報誌「教職課程」(協同出版)、1989年の特集。この年 教員採用試験に合格し、翌春に教師となる学生たちに、学校教育をめぐる様ざまなシーンで活動をしていた10人の識者にインタビューをした。

現在、世田谷区長として活躍している保坂展人氏も登場する。保坂氏は当時 学校へ通えなくなった子どもたちのために、「青生舎」という"たまり場"をつくって主宰していた。多くの方に快く取材に応じていただいた中、暉峻淑子 埼玉大学教授=当時=にだけは「些末な取材はお断り」と一蹴された。TVのイメージと異なり、少し驚いた。

現在の「教職課程」に読ませる特集などないだろうが、私が担当していた一時期だけはかなり充実していたと自負している。いささか退色がひどいが、ご容赦願いたい。

 





| 松本 聰 MATSUMOTO Satoshi | 18:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
おまたせしました、プロ野球の季節です - 昭和の仕事
JUGEMテーマ:プロ野球全般

「岩瀬はわりあい早めに大事を取る傾向にあるのだが、本人がそう言ってきたら必ず、『じゃあ明日は、休んでくれ』『病院に治療に行ってこい』と本人の言葉を尊重した。ただし、もちろん岩瀬がストッパーとして控えていないことは全力で相手チームから隠した。わざと一旦球場に姿を見せさせておいて、誰にも知られないように帰したこともある。岩瀬不在がバレたことは一度もないはずだ」

「『3戦目に予定されていたピッチャーは本当は次のカードの頭にしたかったので。昨日勝ったし、そのほうがよいでしょう。問題は今日誰にするか。右の山井か左の長峰か迷っているんです。昨日右ピッチャーで打たれているので』。こんな感じで話しながら先発を決めることが多かった。だが、このときの答えには驚いた。『二人でジャンケンさせれば?』」

「監督からも、『特に選手と食事や飲みに行くときは事前に必ず報告してくれ』と言われていたので、選手たちとの会合はすべて伝えていた。そうすると、監督は『いいよなあ』と言いながら、『シゲ、これ持ってけ』と軍資金をポケットマネーから出してくれるのだ。『監督は、リーダーは、嫌われる存在でいいんだ』と、監督は覚悟を決めていたのだと思う」


DCカードの会員誌「ザ・カード」には同一テーマで、おふたりに語っていただく「TALK & TALK」というコーナーがあった。1987年プロ野球のシーズン開幕にあたり、野村克也氏と江夏豊氏に登場していただこうと考えた。

野村氏の自宅に電話をする。女性が受話器をとった。間違いなく、あの方だ。「うちは講演30分で100万円からになっているのよ」。...! あきらめる。気をとり直して、江夏×江本 夢の競演でいくことにする。江夏氏の自宅に電話をかける。やたらに暗〜い声で、今そんな気分ではないのでと断られる。何があったのだろう。

最終的には、以下のようなセットとなった。江本氏の取材に出かけた。産經新聞社2階の喫茶店だったと思う。コーヒーカップがデミタスカップに見えるほど大きな手が、今も記憶に残る。


| 松本 聰 MATSUMOTO Satoshi | 16:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
フォレスティエール - "森の番人"と名づけられたジャケット
JUGEMテーマ:おすすめメンズファッション


セーヌ左岸のセーブル街14番地に、そのメゾンはある。"右岸のエルメス"と並び称される "左岸のアルニス"。

1902年、亡命ロシア人のジャンケル・グランベールが創業。33年にサンジェルマン・デ・プレのほど近くにショップを開く。カスタマーリストにはクローデル、ジイド、ピカソ、コクトー、サルトルらが名を連ね、店内はさながらサロンのようだったという。

パリで最も文化の香り高いといわれるブティックは、現在3代目のジャン氏にひき継がれている。その長いリストには、最近でもミッテラン元大統領やイヴ・サンローランの名が見られた。カシミアなど天然素材で仕立てたジャケットやスーツ、そして毎シーズン新作モデルをわずか40本ずつ製作する七つ折りのネクタイで知られる。

47年、ソルボンヌで教鞭を執っていたル・コルビュジエは、アルニスに「ネクタイをしなくても、様になるジャケット」をオーダーする。こうして、南仏の森番の作業着をモチーフとした新作が誕生する。

「フォレスティエール(forestier:森の番人)」と名づけられたジャケットは、スタンドカラ−にゆったりとしたシルエット、肘パッチがきわ立つ。戦後の高揚感、開放感のなかで特に詩人やアーティストらに愛され、いつしか"自由と解放のシンボル"ともなっていった。

そうか、と思う。私はノーネクタイでも正式な場に出られるよう、マオカラーのスーツをオーダーしてきた。だが、そもそも建築家や音楽家、シェフ、ソムリエ、マジシャンなどは仕事をするのにネクタイなど邪魔なだけだ。


| 松本 聰 MATSUMOTO Satoshi | 10:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
リビオ - 新日鉄都市開発 社内報
JUGEMテーマ:挨拶

19世紀英国の作家サッカレーはこう言っている── 「機嫌がよいということは、人が社交界でまとい得る最高の装身具のひとつである」

2004年夏の高校野球・西東京大会。「江夏豊 たった一人の引退式」の舞台ともなった多摩一本杉球場では、国立高校が法政大学第一高校=当時=をサヨナラ勝ちで下した。しかし、さらに劇的だったのはこのあとだ。破れた法政一高の主将が自軍のベンチに飾られていた千羽鶴を、相手チームの主将に手渡した。「俺たちの分まで頑張ってくれ」というように。

この清々しい振舞いを、「みんなで明るくあいさつをしよう会」は「その年のベストあいさつ」のひとつとして表彰した。

「みんなで明るくあいさつをしよう会」は1998年「自ら率先して挨拶をすることで、少しでもこの国をよくすること」を目的に設立された、企業・団体のトップらが名を連ねるボランティア団体。めざすは、次代を担う子どもたちが「明るく挨拶が出来ること」だ。

幹事のひとりでもある堀田力氏は京都新聞のコラム(08年10月19日朝刊)で、皆さんも経験があるだろう、こんなエピソードを紹介している。「入会された元チェアマンの川淵三郎さんが『家の近くで会った母子連れに挨拶したら、若いお母さんが子どもに──知らないおじさんに挨拶したらダメ、と叱った』とがっかりしておられた」

ビジネスの現場では、すでに"あいさつ"が見直されていた。- oricon career | 新入社員に求めたい力、1位は「挨拶力」



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| 松本 聰 MATSUMOTO Satoshi | 10:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |